やさぐれ内向的人生論

人生はエモいものである。

普通という名の生存競争

夢求めていても まのあたりにするだろう  生存競争の中 夢はすりかえられてしまう

尾崎豊「存在」作詞/作曲:尾崎豊 編曲:町支寛二

生存競争という単語。「存在」の他に「核(CORE)」という曲にも出てくる。

私は昔、尾崎にハマり、尾崎によって生存競争という言葉を強く意識するようになった。

生存競争は自然界に向けた言葉だと思うが、尾崎はそれを人間社会に対して用いた。なんだがミスマッチだと思うが、意外としっかりくる。生存競争・・・。

私が尾崎にハマったのはちょうど普通のレールから脱線した時だった。なんだか、ちょうどいい時期にハマったもんだ。

まぁ、これから本題に入りたい。

 

これまで、偉そうにいろいろと書き散らしてきたが、なんだかんだで私は普通に対して憧れを持っている。いや、憧れというよりもコンプレックスを抱いている。

現在、私は27歳であり、27歳という年齢は色々と考えさせられる。周りの誰かが結婚したという噂が耳に入ってくると、心がざわつく。私は結婚に対して現実的な憧れはない。けれども、誰かが結婚したという事実は"どうせ、お前にはできないだろうよ"という現実を、まざまざと見せつけられているように思えてくる。

もし、普通に生きることが出来ていたならば、自分にも・・・?と思うと、こんな惨めな思いをしなくて済むのではないかと同世代を通して思ってしまう。

そんな時に限って、27歳は彼女がいてもおかしくない年齢と言われたりすると、これまでの自分の人生が全否定された気になる。まぁ、これは酷い被害妄想だが。

人生において恋愛が全てではない。そんなことは頭では分かっている。

しかし、そんなことを堂々と言い切れるのは、そういったこと経験をひと通りした人にしか言えないのではないだろうか。何も果たせていない者が、何かを果たせた人間の気持ちになれるなんて、パラドックスでも起きてるのだろうか?

まぁ、自分には必要がないものと完全に吹っ切っている人は凄いと思う。だが、自分はそこまで吹っ切ることが出来ず、ひたすら恋愛ゲームにおいての苦手部分を逐一探し出しては、いかに自分が向いてないかを分析する日々である。正直、なんの進歩もない。

普通であることは人間社会ではかなりのアドバンテージである。だが逆にはみだしものは天下を取らぬ限り、反逆者でしかない。

「決して悲しいことじゃないよ。」とレイディアントは小天使を諭した。「これでいいんだよ。どんな社会にも除け者の階級が必要なんだ。」 「最下層民」のフレーバーテキストより

なぜ、そんなことを言うのかというと、私は普通からドロップアウトした人間なのだ。

普通のレールから脱線すると、さまざまなことが見えたり、痛感できる。だが、天下を取らぬ限り、その代償として劣等感は免れないのだ。

日々の生活・環境で知らぬ間に培った自分・世間にとって普通が最良とする生き方はそれに基づいた生き方ができなければ自らを少しずつ締め上げていく。

僕は週末以外  ネクタイ締めてありきたりな日常  不満も少しあるけど  信じてるよ新しい朝を

DEEN「少年 」作詞:池森秀一 作曲:山根公路田川伸治 編曲:古井弘人

昔はそうなれることを望んだ。

社会人なりたての頃、正社員の給料でこれまでの金銭感覚が嘘のように変わり、自分でさまざまな物を買えたあの嬉しさは懐かしい。

しかし、現実はそう上手くはいかない。

でも、仕事を終えて帰宅の途につく時、一日を終えた達成感はあった。オレンジの色の夕暮れの中、徐々に夜への支度をする街・・・。そんな夕暮れに苦悩を抱えながらも、見えない明日に希望を膨らませた日々・・・。懐かしいな・・・。

今ではショッピングモールで買い物をしてる時、自分が今も社会人生活を送れていたら、レジ袋をぶら下げてくたびれた顔して、帰宅する姿を想像する時がある。

何か偉業を成し遂げたり、英雄になることだけが人生の目的じゃない。ただ誰かに必要とされ、自分らしくいられる居場所が一つあればいいのである。しかし、それを得るためには熾烈な普通という名の生存競争に身を投じた上で勝ち残り、自らの存在をアピールしなければならない。人間は勝ったものにしか目を向けないし、その姿は映らない。何をもって強いものとするかはそれぞれの基準があるが、現代的な勝者には常に誰かが寄ってくるものである。

だから、現代的な敗者に対して現代的な勝者のように振る舞えば、誰かが寄ってくるということを推奨するが、何もないのに自らをアピールするというのは詐欺的な行為である。そのような振る舞いをしたとしても、一番怖いのはその後である。何の達成感もないのに、その役を続けても無理が生じるだけである。しかもそれはやがて見抜かれる。もしその役を立派にやり遂げれるのであれば、それはもう才能である。

 

今の私はただそれを黙って見てるだけの、戦いに敗れた残骸である。それでも未練があるからタチが悪い。でも、土俵には上がれない。

だからこれは所詮、負け犬の遠吠えにすぎない。こんなものに少しでも耳を傾けてくれて、いや、貴重な時間を割いてくれてありがとう。

私の唯一の生きがいは、このように吠えることである。情けない、カッコ悪い。多分、勝者や勝者を支持する者には聞こえないだろう。それでも吠えることでしか、自らの「存在」を主張できないのだ。

 

【処方箋的記事】