やさぐれ内向的人生論

人生はエモいものである。

尾崎豊にハマっていたあの頃・・・

私は尾崎豊に没頭していた時があった。それは2013〜16年の3年間だった。今はその時ほど聴くことはなくなったが、それでも思い出したように聞くことはある。まぁ、今はその時よりも、聴く曲の幅が増えたので必然と減っていったのかもしれない。2016〜17年はMr.Childrenに没頭し、それからはiTunesでたまに最近の曲や有名な曲を聴き、そして今では特撮の曲ばかり聴いている(特に「超人機メタルダー」の「君の青春は輝いているのか」と「七星闘神ガイファード 」の「永遠の誓い」は最高である)。

というか、尾崎の前は90年代のBEINGアーティストにも没頭していた。まだ知らぬ、BEINGアーティストのCDを探すのが、とても楽しかった。それだけでワクワクできたのは、ほんとにいい思い出である。

愛すべきものすべてに-YUTAKA OZAKI BEST

愛すべきものすべてに-YUTAKA OZAKI BEST

  • アーティスト:尾崎豊
  • 発売日: 2013/09/11
  • メディア: CD
 

私が尾崎を聴きまくっていた2013〜16年は、自分の人生に絶望していたり、人生そのものに対して疑問を抱きはじめた時期だった。まさに尾崎を聴くのは必然だったのだのかもしれない。当時の私は適応障害うつ病を患っていた。

その頃には、詩を書き殴ってもいた。正直、自分ではまったく、黒歴史とは思っていないので悪しからず笑。

とにかく、何か自分の思っていることを表現したいという衝動に駆られていたのだ。学生時代は絵を描いたり、ストーリーを書いていたが、漫画・小説にしたりという形にはほとんどできていなかった。学生時代は何か一つのことを継続することができなかったのだ。だから、今となってなんとか一つのことを継続できているのは、自分でもびっくりしている。

話を元に戻すと、詩という形式は小説に比べてはるかに短い。だから思いついたら、とにかく書けるので、あの頃に自分に一番、合っていたのである。それが、巡り巡ってブログや小説、動画に繋がっているから、人生は不思議である。

ではここから、私の好きな尾崎の曲について語りたい。キリがなくなってしまうので、5曲に絞ったが、他にも好きな曲はたくさんある。

基本的に尾崎の曲は作詞・作曲は尾崎自身である。

・核(CORE)

約10分くらいある曲で、「街路樹」に収録されているアルバムバージョンと、シングルバージョンの2種類が存在する。特にシングルバージョンは鬼気迫ったものとなっており、感情をダイレクトに感じることができる。

なぜか、この曲はベストアルバムにはまったく収録されていない(スコアには収録されていることがある)。

10分近くある長い曲だが、一度聴き入ってしまうと、あっという間に時が過ぎてしまうから不思議である。

多分、一番好きな曲かもしれない。

ねぇ  もしかしたら 俺の方が正しいかもしれないだろう  

俺がこんな平和の中で  怯えているけれど

怯えたきった歌詞に、たたみかけるような曲調は、精神的に追い詰められた人間を見事に表現されている。また、クライマックスは絶叫に近いため、カタルシスすら感じる。

正直、絶望を経験したことがないと、この曲が一体、何を訴えたいかとピンとはこないかもしれない。この曲はとにかく、当時の私の心境とシンクロし、歌詞を読み解くというよりも、感じるものである。破壊的な衝動と恐怖心が共存するこの曲は、心の底に溜め込んだ感情を爆発させるのである。

また、"生存競争"という単語が歌詞に使われており、非常に印象的(「存在」という曲にも使われている)。

・街の風景

この曲はファーストアルバム「十七歳の地図」のトップバッターである。しかし、曲となったバージョンは詩の一部が削られてようで、その削られた詩を含んだバージョンをライブDVD「OZAKI・19」ではじめて聴いた。しかも、アレンジも変わっており、テンポも遅くなっている。

人間喜劇さ  その通りだろうよ

だけど何がこうさせるのか  わからないよ

愛情の渦だよ 窮屈になるだけ

だけど誰が止めるというの 祈るしかない生き物よ

私は聴いたことはないのだが、どうやら未発表音源の収録されたアルバムにはデモテープ版が収録されているらしく、タイトルは「"町"の風景」となっている。

このカットされた詩があるか、ないかでかなり全体のイメージも変わってくる。特に、"人間喜劇さ その通りだろうよ"というワンフレーズには痺れた。

・卒業

窓ガラスを壊して・・・という、若者の反抗の象徴的としてのイメージが強いが、私はその部分よりも、後半の歌詞に共感を覚えた。

あと何度自分自身  卒業すれば

本当の自分に  だとりつけるだろう

一体どうすれば、理想の自分にたどりつけるのか?それが当時の私の気持ちであり、その気持ちを「卒業」が代弁、言語化してくれたのだ。

仕組まれた自由に  誰も気づかずに

あがいた日も  終る

仕組まれた自由・・・。私は何のために、絶望しているのかと考えた時に、社会に適応できずに絶望していることを気付かされたのだ。

その辺りから、物事の前提そのものを疑いはじめたのだった。

・太陽の破片

この曲を知ったのはテレビだった。何の番組かは忘れたが、秘蔵映像特集的な感じで、「夜のヒットスタジオ」でこの曲を歌っている尾崎の映像が流れていたのだった。曲のラストのシャウトには度肝を抜かれた。しかも、それを見たのが、ちょうど尾崎にハマるか、ハマらないかのタイミングだったので、どこか運命的なものを感じた。

この曲は逮捕後の活動再開の第一弾として発表されたものであり、どこか、胸に刺ささるものがある。

また、記憶違いだったら申し訳ないが、マザーアンドチルドレン版のライブDVD「LIVE CORE」では、ライブ映像の途中にイメージ映像が挿入されており、尾崎が滝に打たれながら、もがいているシーンがあったような気がする。それが強烈に焼き付いている。

だから  一晩中  絶望と戦った

この歌詞がやはり、身に染みる。

・永遠の胸

全体的に長い歌詞であるこの曲は、哲学的である。生きることを突き詰めたような内容で、尾崎の回答のようなものにも思えなくもない。

何故生まれたきたの

生まれたことに意味があり  僕を求めるものがあるなら

また、尾崎の曲には英題が存在し、この曲の英題は「Eternal Heart」となっている。カッコいい。

カードゲームをして育った世代の自分には、このようなワードは非常に心をくすぐる。

 

あの頃、自分が生きにくさを抱えてるということに気づき、世の中に対する疑問を持ち始めた時、その傍に尾崎があった。その疑問が芽を出した今、哲学にたどり着いたのだった。

非常に辛い時期だったが、振り返ってみると、あの頃のことが今になって、実を結んでいるのである。だから、絶望を抱えていても、希望は見失ってはいけないのだ。

 

【関連記事】

あせるなよ、希望に向かえ!

散々、後ろ向きな話題を投稿してきた当ブログであるが、今回は今までのことを振り返りつつ、尻上がりに前向きな話題としていきたい。

私は自分に自信が持てなかった(今もそうだが・・・)。自信がないと、人生ハードモードである。それはまるでクワガタが成虫ではなく、さなぎのまま自然界で切磋琢磨しているようなものである。自信という硬い甲(カブト)を身に纏わないデリケートな生身=心は一度、傷つくとかなり尾を引く。クワガタもさなぎの時に角が曲がったりしてしまうと、成虫になった時もそのままなのだ。

そうなると、自信の無さから負った傷は転じて、コンプレックスという心に負債になってしまう。この心の負債によって自分に欠けているものを必死に補おうとするが、結局は自分自身を過小評価しているので、本当は黒字くらい業績を上げている可能性があるのに、心はいつまでも赤字経営となってしまうのである。それはまさに悪循環であり、一度このルートに入ると、なかなか抜け出すことができない。

それに人間は目に見える結果に敏感である。特に、私は恋愛には相当のコンプレックスを抱えている。恋愛というのはヴィジュアルに訴えてくるものだ。そう、誰かと一緒にいる=カップルというは光景は圧倒的かつ、支配的な説得力を誇り、それを見たこちらに対して局地的ではなく、歴史的大敗をもたらすにはあまりある事実を突きつけるのである。

そんなことを繰り返しながら、無理をし続けた私は心と身体がボロボロになってしまった。

でも当時を振り返ると、無理をしない限りは決して前には進めない気がしていた。それに無理をしなければ、自分を保てなかった。

そんな自分に一言、アドバイスするならば、こう言うだろう。

「トランキーロ、あっせなんよ」

新日本プロレス 内藤哲也より

勿論、今もあせっているのだが。

トランキーロとはスペイン語で、"落ち着いて"という意味だ。現在の内藤選手は新日本プロレスの主役とも言うべき存在である。しかし、その内藤選手にも低迷期があったのだ。次期エースと期待されながら、その道を継承できず、危機感を抱えていた。だが、自分自身を解放することで新たに生まれ変わり、一気に主役に躍り出た。内藤選手は低迷期、焦っていたという。そう、逆説的に言えば、焦っていなかったら、今現在の大成功を収めることができなかったのかもしれない。

危機感は焦りを生む。でも、その危機感を感じなければ、人は変われない。まぁ、そうではなく、器用に要領良く進める人は勿論いるが。しかし、焦らなければ、余裕のあることの大切さもわからない。

 

今になって当時を振り返ると、焦りに焦って全てのことが空回りして、結果、自分が傷つくことになっていた。

それでも唯一、自分自身に誇りに思っているのは、心と体がボロボロになりながらも、ここまでなんとか持ちこたえられていることである。前の私ならば、そこまで耐えられなかったと思う。

苦悩に押しつぶされかけた時はあったけど、その遠くには希望が微かに見えていた。希望そのものを手にしても、また、失望がやってくるのが人生であるが、それでも、人生、希望に向かわずして何処に行くのだろうか?

かつて私は最も人生の中での低迷期に、WWEジョン・シナに触発されて、Hustle、Loyalty、Respectにあやかって、Dream(夢)、Brave(勇敢)、Hope(希望)なるものを掲げていた。

まぁ、そのことをすっかり忘れてはいたが、今になって急に思い出した。もしかすると、相応しいからこそ、このタイミングで思い出せたのかもしれない。

正直、最近の私は結果を出さなきゃと思うがあり、後ろ向きな気持ちで情熱を欠いていた。そんな時に応援してくれている仲間の声を久しぶりに聞いて、ハッとさせられたのだ。

それに自分の中で大切な言葉すら、忘れていた。

俺の夢はこうだからみんな応援してよ。そういうじゃないんですよ、俺が一番言いたいことは。みんなも夢持って頑張ろうよと。俺も頑張るから、みんなも夢に向かって頑張ろうよ。俺はそこが一番言いたいんすよね。

この言葉は内藤選手のもので、この言葉があったからこそ、潰瘍性大腸炎と診断されても絶望しなかったのに、そんな大事な言葉を今の今まで忘れていたのだ。

なんか、よくわからないけど、なんとかなる気はしている。どんなに弱かろうが、必死で離さなかった希望はきっと身を結ぶだろう。

だからこそ、あせるなよ、希望に向かえ!なのだ。

 

2:25に"俺の夢はこうだから〜"の言葉があります

公園という、約束の安息地

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私は良く公園に行く。

基本的に行くのは、人がいない時間、つまり夜である。

なぜか、公園に行くと心が落ち着くのだ。公園にある、木々や芝の緑に囲まれていると、やり場のない不安、焦りを鎮めてくれる。

当ブログ、私のYouTubeチャンネルは基本的に、バファリンが優しさで出来ているとは真逆の、コンプレックスで構成されていると言っても過言ではない。

正直言うと、もう後が無いのである。27歳になり、何もかも失敗して、持病すら抱えている私の可能性は限られている。時折、押し潰されそうになる瞬間がある。

明日をさえきる ガラスの壁を今 砕きながら 日の当たる場所を 見つけるのさ

INFIX「愛が止まらない」作詞:大津あきら 作曲:川村栄二

日の当たる場所はなかなか見つからず、それにキラキラした同世代の人が目に入ると、自分がいかにやさぐれているかを痛感する。まるで野良犬のようだ。

こんなことを綴ったからといって、どうにもならないことは分かっている。いや、もっと負け犬感が増すのだけだ。しかし、それでも叫ばなければやっていられない。負け犬の遠吠えながら、いつかは首筋に噛みつくような思いを胸に刻んで・・・。

そんな時、「〜すれば上手くいく」などの文言が目につくと、心がざわついてしまう。だから最近見つけた対処法は、「理論上はね・・・」という事実を心にインプットさせることである。もし、みんながそれに従って上手くいくならば、この世には不平不満はないだろう。まぁ、それら上手く活用するにはセンス、スキルが必要なのである。

しかし、そうは思いながらも心は飢えている。最近、よく感情移入してしまうのは燻っている芸人さんだ。悪戦苦闘しながら、もがき続ける姿はカッコいい。

多分、流れにただ従うのではなく、踏ん張りながら、流されかけたとしても、それに逆らおうとする精神が、いつかその流れそのものを支配するのだろう。つまり、言い換えるなら、「運命とは自分で切り開くもの」、男塾の卍丸のマインドでやり続けていきたい。

そうなのだ、どうにもならない運命を嘆いているより、それがどんなに微々たる力でも、徹底的に逆らい続けるのだ!!どんなに叩きのめされても!!

このまま続けて、仮に身も心がボロボロになったとしよう。それでも、日の当たる場所に辿り着けるなら仕方がない。覚悟はしている。私と逆境のどちらかが尽きるのか、消耗戦である。

そんな失望と希望が入り混じる、混沌(カオス)とした気持ちの時に公園に行くのだ。

すると、公園の緑もさることながら、尾崎の「DRIVING ALL NIGHT」のよろしく、外灯に優しさを感じる。暗い景色の中、唯一、照らしてくれるのは外灯だけだ。"果たしない闇の向こうに手を伸ばせるのは"、遠くに僅かな光がそこにあるからである。そう、公園は日の当たる場所ではないが、束の間の安らぎを与えてくれる場所なのだ。

それに公園は誰も拒否することなく、いつでも迎えてくれる。いや、もし日の当たる場所に辿り着つけた時に、公園に行ったらどんな感情が待ち受けているのだろうか?それも楽しみである。

MTGのカードに感じたロック魂

MTG・・・マジック・ザ・ギャザリング。私はプレイヤーではないが、少しばかりカードを集めていた。なぜかというと、カードのイラストが好きだからである。まるで絵画のようなイラストなのだ。

ということで、今回はマジックのカードについて語りたい。しかし、マジックに興味がない方も、是非とも最後まで読み進めて欲しい。ちゃんと、タイトルに繋がるので。

マジックの魅力的なイラストもさることながら、カードの世界観を表現するための文章、フレーバーテキストというものがある。あるものは詩的だったり、またあるものはこの世の真理をついていたりと・・・。マジックのフレーバーテキストはなかなか味わい深いものがたくさんある。

一応、前回の記事でもフレーバーテキストを引用した。

そして、今回語りたいのは「怒り狂うゴブリン」というカードのフレーバーテキストだ。

彼は世界に対して怒り、家族に対して怒り、自分の人生に対して怒っていたんだ。だが、だいたいは理由もなく怒っていたんだ。「怒り狂うゴブリン」のフレーバーテキストより

これは凄い!!

とにかく、どんなことにも怒っている。しかも、その怒りに理由はない!!

しかし、これは「怒り狂うゴブリン」だけではなく、我々にもこのような状態があるではないだろうか?まさに虫の居所が悪いというヤツだ。

自分の現状に対する不安・焦燥から、徐々に怒りが込み上げる・・・。誰かのせいにしようとしても、その原因は分かっている。自分なのだ。でも、自分に怒っても仕方がない。何も変わらないからだ。だからこそ、目に映るものに怒りの眼光を向ける。その怒りを上手く昇華させたものが歌なのだ。

このフレーバーテキストにロック魂を感じる。

いつまでたってもおんなじ事ばかり いつまでたっても  なんにも変わらねぇ  いつまでたっても  イライラするばかり

THE BLUE HEARTS「平成のブルース」作詞/作曲:真島昌利

まさにこんな気分だ。

 

マジックのフレーバーテキストは探せばいくらでも、素晴らしいものが出てくる。名言の数のように、素晴らしいフレーバーテキストが存在するのだ。

ということで今回はマジックのフレーバーテキストについて語ってみた。

 

普通という名の生存競争

夢求めていても まのあたりにするだろう  生存競争の中 夢はすりかえられてしまう

尾崎豊「存在」作詞/作曲:尾崎豊 編曲:町支寛二

生存競争という単語。「存在」の他に「核(CORE)」という曲にも出てくる。

私は昔、尾崎にハマり、尾崎によって生存競争という言葉を強く意識するようになった。

生存競争は自然界に向けた言葉だと思うが、尾崎はそれを人間社会に対して用いた。なんだがミスマッチだと思うが、意外としっかりくる。生存競争・・・。

私が尾崎にハマったのはちょうど普通のレールから脱線した時だった。なんだか、ちょうどいい時期にハマったもんだ。

まぁ、これから本題に入りたい。

 

これまで、偉そうにいろいろと書き散らしてきたが、なんだかんだで私は普通に対して憧れを持っている。いや、憧れというよりもコンプレックスを抱いている。

現在、私は27歳であり、27歳という年齢は色々と考えさせられる。周りの誰かが結婚したという噂が耳に入ってくると、心がざわつく。私は結婚に対して現実的な憧れはない。けれども、誰かが結婚したという事実は"どうせ、お前にはできないだろうよ"という現実を、まざまざと見せつけられているように思えてくる。

もし、普通に生きることが出来ていたならば、自分にも・・・?と思うと、こんな惨めな思いをしなくて済むのではないかと同世代を通して思ってしまう。

そんな時に限って、27歳は彼女がいてもおかしくない年齢と言われたりすると、これまでの自分の人生が全否定された気になる。まぁ、これは酷い被害妄想だが。

人生において恋愛が全てではない。そんなことは頭では分かっている。

しかし、そんなことを堂々と言い切れるのは、そういったこと経験をひと通りした人にしか言えないのではないだろうか。何も果たせていない者が、何かを果たせた人間の気持ちになれるなんて、パラドックスでも起きてるのだろうか?

まぁ、自分には必要がないものと完全に吹っ切っている人は凄いと思う。だが、自分はそこまで吹っ切ることが出来ず、ひたすら恋愛ゲームにおいての苦手部分を逐一探し出しては、いかに自分が向いてないかを分析する日々である。正直、なんの進歩もない。

普通であることは人間社会ではかなりのアドバンテージである。だが逆にはみだしものは天下を取らぬ限り、反逆者でしかない。

「決して悲しいことじゃないよ。」とレイディアントは小天使を諭した。「これでいいんだよ。どんな社会にも除け者の階級が必要なんだ。」 「最下層民」のフレーバーテキストより

なぜ、そんなことを言うのかというと、私は普通からドロップアウトした人間なのだ。

普通のレールから脱線すると、さまざまなことが見えたり、痛感できる。だが、天下を取らぬ限り、その代償として劣等感は免れないのだ。

日々の生活・環境で知らぬ間に培った自分・世間にとって普通が最良とする生き方はそれに基づいた生き方ができなければ自らを少しずつ締め上げていく。

僕は週末以外  ネクタイ締めてありきたりな日常  不満も少しあるけど  信じてるよ新しい朝を

DEEN「少年 」作詞:池森秀一 作曲:山根公路田川伸治 編曲:古井弘人

昔はそうなれることを望んだ。

社会人なりたての頃、正社員の給料でこれまでの金銭感覚が嘘のように変わり、自分でさまざまな物を買えたあの嬉しさは懐かしい。

しかし、現実はそう上手くはいかない。

でも、仕事を終えて帰宅の途につく時、一日を終えた達成感はあった。オレンジの色の夕暮れの中、徐々に夜への支度をする街・・・。そんな夕暮れに苦悩を抱えながらも、見えない明日に希望を膨らませた日々・・・。懐かしいな・・・。

今ではショッピングモールで買い物をしてる時、自分が今も社会人生活を送れていたら、レジ袋をぶら下げてくたびれた顔して、帰宅する姿を想像する時がある。

何か偉業を成し遂げたり、英雄になることだけが人生の目的じゃない。ただ誰かに必要とされ、自分らしくいられる居場所が一つあればいいのである。しかし、それを得るためには熾烈な普通という名の生存競争に身を投じた上で勝ち残り、自らの存在をアピールしなければならない。人間は勝ったものにしか目を向けないし、その姿は映らない。何をもって強いものとするかはそれぞれの基準があるが、現代的な勝者には常に誰かが寄ってくるものである。

だから、現代的な敗者に対して現代的な勝者のように振る舞えば、誰かが寄ってくるということを推奨するが、何もないのに自らをアピールするというのは詐欺的な行為である。そのような振る舞いをしたとしても、一番怖いのはその後である。何の達成感もないのに、その役を続けても無理が生じるだけである。しかもそれはやがて見抜かれる。もしその役を立派にやり遂げれるのであれば、それはもう才能である。

 

今の私はただそれを黙って見てるだけの、戦いに敗れた残骸である。それでも未練があるからタチが悪い。でも、土俵には上がれない。

だからこれは所詮、負け犬の遠吠えにすぎない。こんなものに少しでも耳を傾けてくれて、いや、貴重な時間を割いてくれてありがとう。

私の唯一の生きがいは、このように吠えることである。情けない、カッコ悪い。多分、勝者や勝者を支持する者には聞こえないだろう。それでも吠えることでしか、自らの「存在」を主張できないのだ。

 

【処方箋的記事】

繊細さと革ジャンと危険地帯とI'll be

私はかなり繊細なタイプだと思う。

そう、周りのことが気になってしまうのだ。だが、気にしないという選択肢はなかなか難しい。常に周りに対して、広範囲かつ高性能のレーダーを張り巡らし、拾わなくても良いものまで拾ってしまう。そう、拾う拾わないの選択ができないのだ。そうなると、意識がそっちに引っ張られて思考を揺さぶられる。

些細なことが変に気になりだすと、それが尾を引いて、しまいには頭痛に悩まされる。それで終わればいいのだが、ひどい時には立ちくらみを起こす。

私にとって世界は危険に満ちている。例えるなら、横スクロールのスーパーマリオのようなのだ。マリオのステージには敵キャラのクリボー、ノコノコ、土管からのパックンフラワーなどが待ち構えており、さらには穴が何箇所も仕掛けられている。だが、それらを注意深くかわしたとしても、突如としてキラーが飛んできたり、非常に厄介なハンマーブロスが2体も待ち構えていたりする。そんな彼ら=不安に当たらないように必死に過ごす。その上、人生は一機しかないのだ。

そんな厄介な人生には、たまにスターというお助けアイテムが降ってくる。スターを使って敵キャラをバッタバッタとなぎ倒しながら突き進んで行くが、調子に乗るとそこには穴があり、いとも簡単に転落してしまう。人生は油断大敵なのだ。

もっと言えば、マリオというポップなもので済まされるものではなく、時には魑魅魍魎が待ち構える世界へと変化する。たとえ、安心できるものでも、一瞬にして恐ろしいものに化け、私の脳を絶え間なく揺らすのだ。

 

私はなかなか気の抜けない生活を送っている。しかも、自分で意図しなくとも気づいてしまうことがある。別にそこに焦点を合わせてわけではないのに、不意に視界に入ってしまうのだ。そうなると、気持ちがざわざわして動揺する。まさにターミネーターの標準のようであり、恐ろしく正確である。

繊細な世界感は常に危険に満ちている。繊細じゃない世界は安全ではないが、一度その生き方をしてみたいと思う。もう少し、この世界からの恐怖から解放されて、エンジョイしてみたいが、私の頭が常に危険信号を送り続けてそれを拒む。

そんな自分を変えるために、筋トレ・運動をはじめたものの、私という根本の本質は変わらず、年々図太くなることのは逆コースの、繊細さが増していく。そう、経験する・知ることによって、色々な不安が自らが体験する可能性があるものとして襲いかかってくる。赤い果実を齧って得たのは、果てしない不安の日々だ。

だからこそ、自分というものを理解し、できること、できないことを分けていなければならない。

だが、人生の難しいところは、自分を知ることはとにかく時間がかかることだ。自分を知るためには、失敗という大きな判断材料が必要である。できれば、もっと早い段階で自分を知りたいが、自分を知る過程の失敗で負ったダメージは、時を経て治る場合とそうでない場合がある。癒えぬダメージは常にリスクを恐れる。だが、リスクを恐れぬ英雄は大きな成功を掴む。

 

最近は穏やかな人になりたかったなと思う。見た目からも繊細さが伝わってくるような感じだ。だが、今の私はターミネーターのような革ジャンを着て、マスクから覗く眉間には皺が寄っているというバリバリ尖った見た目である。でも、そんな格好をしていても、買う本は「繊細さん」だったりする。

ターミネーターのような革ジャンを着て、ターミネーターのように標準が正確・・・。しかし、ターミネーターのように目的に向かって突き進むことは難しい。

でも、自分で繊細とは言ったが、日によってはめちゃくちゃ尖っていて、まるでプロレスのヒールやロックミュージシャンのように世間を見ることはある。

今日はゾウ 明日はライオンてな具合に  心はいつだって捕らえようがなくて  そんでもって自由だ

Mr.Children「I'LL BE」作詞・作曲:桜井和寿

自分でもこのギャップの激しさになかなかついていけない部分がある。昨日、今日でまったく別の自分に変わってしまう。まさに昨日、今日の自分にI' ll be backを繰り返している。

人生はフリースタイルだけども、もう少し、自分を安定させてたいと思った。

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  • メディア: Blu-ray
 

I'LL BE

I'LL BE

I'll be

I'll be

サカモト哲学について

これは以前に投稿した動画と同じ内容である。

だが、今回は文字として残したい。

サカモト哲学・・・。なんだそれは?と思われるかもしれないが、サカモト哲学とは、この私が自分の人生に対する考えを書き記したものである。まぁ、哲学というよりは格言風だ。最初、これらのことが頭をよぎった時、異常なほど頭が冴えていたのを覚えている。だから急いでスマホにメモし、それを改めてノートに書き記したのだ。

ちなみに、その当時のことを話した動画がこちらだ。

↑動画のサムネ画像 かなり柄が悪い。だが、安心してくれ、中身はかなりの臆病者だ。

辛いだった時期からからこそ、頭が冴えていたのかもしれない。

それはさて置き、さっそくサカモト哲学について選りすぐりの15個を並べていきたい。

サカモト哲学

1.人生は面白くするもの。

自分の人生が楽しいと感じるのは難しい。現状が辛いと尚更である。かといって無理矢理、楽しいものとしたり、どうにもならない現実を嘆くだけは違う。だからこそ、その状況を打開するために面白くなるように行動するのである。人生とは何かと断言するのではなく、面白くするものという姿勢が大事なのだ。

2.不可能はあるが、可能性もある。

私はよく、自分を受け入れるとよく言っている。それは自分の特徴がその分野では活かせないと分かったら、辛い努力を続けるよりも、早々に見切りをつけた方がいいということだ。しかし、それに見切りをつけたとしても自分の特徴は、他の分野で生かせる可能性があるということである。

3.人は車だ。肉体が車で魂が運転手なのだ。

別に私は霊魂や死後の世界を信じているわけではない。これはあくまで喩え的な意味合いだ。魂=心の声にしっかりと耳を傾ければ、自ずと肉体が現実において、高みに連れて行ってくれのだ。

4.プロレスは人生の教科書だ。

プロレスは浮き沈みの激しい世界である。その中で、いかに自分を出せるかが成功の鍵だ。だが、自分が正しいと思ったことも、ファンからブーイングとして拒絶されたりする。だからこそ、周りの反応などに目を向けつつ、自分に磨きをかけて成功を狙う。つまり、プロレスとは学ぶことが多いエンターテインメントなのだ。

5.やらなければ0、やれば最悪0.1にはなる。

とにかく、やらなければ何も始まらない。しかし、ものごとをやり始めるとすぐに結果を求めてしまうのが人間である。その中で結果を出さない自分に失望し、終いには諦めてしまうこともある。だからこそ、肝に銘じたいのが、たとえ結果が出なくとも、やらなかった時に比べれば、何か足しにはなっている。つまり、1を出すことにとらわれるのではなく、僅かながら何かに繋がったことに目を向けることが大切である。

6.本に書かれていること全ては実践できない。刺激を受ければ良いのである。

本というのはあくまでこういう考え方があるという、参考程度した方が良い。基本的に私は一つの考え方に縛られるのは好きではない。だから参考程度にすれば、いろいろな考えを取り入れることができる、つまりキメラ理論である。

7.人生楽しんだもん勝ちじゃない。人生楽しませたもん勝ち

これはあくまで私自身が目指すものである。やはり、人生とは自分が楽しい感じるだけで全うするよりも、誰かを楽しませて全うしたいものである。これを自分で言うのは気が引けるが、なんだかんだで、私は人を笑わせるのが好きなのだ(勿論、お前で笑ったことねぇよという人もいるだろうが)。もしそれが、嫌いな人間でも自分が笑わしたら勝ちだと思っている。

8.批判で終わるな。行動で示せ。

ものごとを批判するのは簡単である。だが、実際に行動するのは難しい。確かに批判は必要なものであるが、慎重にすべきものだと思っている。それに批判だけでなく、自分ならこうすると、実際に行動で示した方が説得力がある。

たとえば、ある定番ストーリーに批判があるのならば、その定番ストーリーに対してのアンサーのストーリーを作るなどだ。

9.いくら、凄くてもレースに出なきゃ意味がない。

いくら才能があっても、世に出なければ評価はされない。自分の才能に可能性を感じるのであれば、積極的に行動した方が良い。

10.脳に電気を走らせるためには、探求という充電を行うのだ。

たまに脳に電気が走るように突如、アイデアが思い浮かぶ瞬間がある。それを起こすためには常に探求=考え続けなければならない。考えるという作業はかなり大変だが、まさにそれこそ、アイデアという電気を起こすための充電なのだ。

11.苦悩、苦闘は行動した証拠。何もなければそれもない。

苦悩、苦闘は何かしらを目指したからこそ、生まれるのである。つまり、苦悩、苦闘は前に進もうとした証なのだ。

12.世界に対して時に素直に喜んで、時には睨みをきかせろ。

喜び、感動は素直に表したい。だが、逆に満たされない飢え、嫉妬などの負の感情も同時に表したい。そういった負の感情を昇華させて、発信するのである。つまり、発信においての源なのである。

13.外道には外道の道がある。

私は普通ができない。ならば、普通=王道から外れて、外道で輝くしかない。外道は外道として腹を括らねばならないのだ。人生は答えは一つではないのだから、王道ではなくとも、外道でもいいのだ。

14.氷と炎の剣で戦え。

氷と炎は相反するものである。言い換えると、冷静さと熱意のことである。どんなに熱意があっても、今の自分の状況を見極めなければならないし、逆を言えば、冷静だけでは意欲も湧かないだろう。だから、相反する二つが必要なのだ。

15.陰と陽を両方を持ったものが最強。

これも氷と炎と同じく、相反するものである。陰と陽、それはすなわち、ネガティブとポジティブである。これは氷と炎と同じ意味に見えるが、ちょっと違うのだ。ネガティブな人の気持ちはポジティブには分からない。だから、容易に片付けてしまう感情でもある。でも、ネガティブとポジティブの両方を持ち合わせていれば、ネガティブな人に寄り添うことができる。それに自分が落ち込んでも、ポジティブさを持ち合わせていれば、時期を経て自力で立ち直ることができる。

つまり、陰と陽の両方を持つ、カオスこそ最も強いのだ。

 

よく分からない、有象無象なヤツが偉そうに・・・と思われるかもしれない。けど、これらを発信した以上、サカモト哲学を自ら実践していかなければならない。まぁ、人間の考えとは時を経て変化して行くものであるが、これらサカモト哲学は考え方というより、私の根本原理である。

いろいろあった私はこれからの自分の人生は、第二章だと思っている。苦悩、苦闘は現在進行形であるけども、それらと全力で向き合うことが、サカモト哲学なのである。